名前 吉岡 貴紀(ヨシオカ タカノリ)
- スピリチュアルカウンセラー(心理コーチ)
- イクリス株式会社 代表取締役 兼 CEO
強み | スピリチュアルを現実的に使って『自己実現と目標達成』の分野に特化している |
趣味 | ゴルフ(ベストスコア 83) |
過去にハマったこと | ゴルフ、カラオケ、ギター、ブログ、音楽鑑賞、読書、ゲーム、アニメ、ウエイトトレーニング |
実績 | ・元競輪選手(9年間の選手生活を送る) ・スピリチュアルカウンセラー(750人以上の相談の実績) ・月間30万PVのブログ運営(ヨシタカブログ) ・累計5000冊以上の本を読む(哲学、心理学、宗教、、コーチング、ビジネスetc.) |
企業理念
「見つけよう、愛と自分らしさを。」
自分らしく生きて、愛を見つけることで幸せな人生を作り上げていくことが私の人生の目標であり、企業のあり方だと考えています。
「理念」の意味と込めた想い
「見つけよう、愛と自分らしさを。」
この理念に込めた想いは、
だからです。
人間は色々なことを求めているものです。
- お金が欲しい
- 結婚したい
- 出世したい
- みんなに認めてもらいたい、など。
しかしどれもこの二つの言葉に集約されます。
人は、「愛」を求めています。
それは他人に評価されたい、認めてもらいたい。など全ては愛なのです。
求める愛です。
そしてもう一つ必要なものが与える愛です。
「愛」というと、「恋愛」や「家族愛」などを想像してしまいますが、目標や夢も「愛」です。
目指す夢に愛を注ぎ、時間を注ぎ、労力を注ぎ、お金を注ぐ。
それは愛と呼べるのではないでしょうか。
恋愛でも相手に時間も労力もお金も注ぎます。
見返りが全くないということはありませんが、自分がそうしたいからそうするというのは愛と言えるのです。
求める愛、そして与える愛。
だから人生というのは愛が必要で、愛があって人は幸せになっていくことが出来るのです。
そして、もう一つ幸せになるために必要なことは、「自分らしさ」です。
自分らしさを求めているのです。
それは正しい道を選びたい、幸せな道を選びたい、成功したい。など全ては「自分らしさ」なのです。
どんなに他人から成功者と言われても、自分が納得していなければそれは成功ではありません。
自分らしくないと感じれば成功とは言えないのです。
幸せな道も他人からとても良い結婚相手を選んだと言われても、自分がなんとなく腑に落ちていなければ幸せな道とは言えません。
「自分らしさ」というのは正しい道、幸せな道、成功の道へ進むための絶対に必要なものなのです。
「愛」と「自分らしさ」の二つの要素が揃って人は幸せになっていくのです。
ですから私の理念としてこの二つを見つけることこそ、幸せであり成功への道なのです。
人生とは、生きる意味とは。
人生の本質とは、生きること、それは「求めること、そして与えること。」です。
極端な話で言えば、何も求めず何も与えない人間になってしまったら人は無気力で何のために生きているのかが分からなくなってしまうでしょう。
誰かに何かをしてあげたい、こんな自分になりたい、あれが欲しい、これが欲しい。
そういった欲求があるからこそ、頑張って生きていくことが出来るのです。
何かを求めて、何かを与えて生きていくことこそ人間という存在なのです。
どうしても求めること(欲)というのは悪いもののように思われてしまっていますがそんなことはありません。
欲があることは良いことなのです。
ではなぜ欲がダメなことだと言われているかというと、欲がありすぎると人から求め過ぎてしまって人から奪ったり、求め過ぎてみんなに嫌われたりというようなトラブルにつながってしまうからなのです。
しかし欲がなければ活力やエネルギーというものは湧いてきません。
必要なことは、求めることと与えることのバランスなのです。
与え過ぎれば、自分だけ疲労してしまって不幸になってしまいます。
求め過ぎれば、相手は嫌がってしまい結局は周りから人がいなくなって不幸になってしまいます。
求めることと与えることのバランスを持って生きていくこと。
それが出来れば幸せであり、人間として上手に生きることに繋がるのです。
求めることは悪いことではありません。それこそが人間なのです。
与えたいと思う気持ちも良いことなのです。それも人間らしさなのです。
座右の銘
- 自分らしい人生を全うしていくこと
- 自分にとっての愛を見失わずに突き進んでいくこと
- 常に考え、日々成長していく為に精進すること
過去の経歴
1989年5月に生まれ、小学生の頃に学校へ行く意味が分からず5年間の不登校を経験しながらも高校まで進学をし、19歳で競輪学校へ入学を果たして競輪選手として活動を始める。
その後競輪選手生活を送り通算101勝(優勝3回)の成績を残し28歳で9年間の選手生活に幕を閉じる。
その後は独立をして幼い頃からあったスピリチュアルな能力を活かしてスピリチュアルカウンセラー、ライターとして活動。
750人以上の相談実績、ライターとしては月間30万PVのメディアを運営する。
その後2021年2月(31歳)にイクリス株式会社を設立して教育事業を営む。
生い立ち
私はオーラが見えていたり、今で言うところの「チャネリング」というものを幼い頃から自然とやっていて、なかなか人間関係がうまく取れない子供でした。
1000日以上毎日のように明晰夢を見たり、不思議な体験をすることが多い幼少期を送っていました。
そのせいなのか今となっては定かではありませんが、保育園ではいじめられていて、保育園に行くのが嫌になり幼稚園へと行くようになりました。
しかし、幼稚園へ行っても結局いじめは止まりませんでした。
ある日、上履きにたくさんの画鋲が入れられてそのまま履いてしまい血だらけになってしまったことは今でも覚えています。
最終的には幼稚園も行かなくなってしまってそのまま小学生になりました。
小学校時代
小学生になった私は、最初の2週間ほど学校へは行ったもののそこからほとんど学校へはいきませんでした。
理由は今では深くは覚えていませんが唯一覚えていることは、担任の先生に「人間が生きる意味って何ですか?」と聞いた時にその担任の先生が何も答えてくれなかったことが1番のショックだったことを覚えています。
今考えれば、それを答えられるような先生がなかなかいないことは分かっていますが、当時の私は「生きる意味」と「どうして自分が生まれたのか」、「どうしてこの世が誕生したのか」を知りたくて仕方がなかったのです。
「生きる意味」を教えてくれない学校なんて行く意味がない。と思ってそこから不登校になってしまいました。
そこからも「今考えると自分は変わっているな」と思うのは、最初の2週間で作った友達とほぼ毎日遊んでいましたし、私はとても運動が得意な子供で体育は出来る限り参加していました。
そして毎年リレーの選手には選ばれていましたし、体育大会は皆勤賞でしっかりと6年間参加していました。
小学一年生の頃は50m走の歴代学校記録を持っていて9.0秒だったことを覚えています。
幼い頃は生きる意味と生まれた意味が知りたい好奇心旺盛な運動が大好きな不登校少年でした。
「セミはどうして1週間で死んでしまうのだろうか」
「木は何で出来ているのだろうか」
人間観察が大好きで「どうしてあの人はあんな暗い顔をしているのだろうか」など、色んな事に対して疑問を持ってあれこれ考えていました。
しかし答えが出ない問題もたくさんありましたし、単純に好奇心から来るものだったのでよくいるような天才のような存在ではありませんでした。
今でも強く覚えている出来事は、
小学五年生の頃に母親に言われた言葉で、「そろそろ学校へ行かないなら本気で怒るからね。」と言われて売り言葉に買い言葉で、「中学になったら学校へ行くから小学生の頃は好きにさせろよ!」と言ったことです。
小学生ながらも言ってしまった事はやらなければいけないという気持ちを持っていたので、正直「やばい、言ってしまった」と思いました。
その後からは母親が学校へ行きなさいと言うことはなくなりました。
そして私はいきなり中学生になって行けるとは思わなかったので、小学五年生の後半から学校へ行き始めて小学六年生からはほとんど学校へ行くようになりました。
オーラが見えると気付いた幼少期の話
私の幼い頃はオーラやスピリチュアルな知識は全くなくて、みんながオーラが見えていることが当たり前だと思っていました。
そんなある日のことですが、私は仲の良かった友達に「なんでMくんはいつも赤いの?」という話をしました。
そのときにそのMくんは何も答えずにポカンとしていました。
なのでその時に遊んでいた他の友達にも同じ質問をしたのですが、みんなが同じようにポカンとした反応だったのでその時に、
「これは自分にしかわからない感覚なのかもしれない」と気付いてそれから他の人に話すことはなくなり、自分の感覚は自分だけのものなんだと気付いたのです。
それがオーラが見えたと自覚した時の出来事です。
中学時代
中学生になった私は、小学生の頃と打って変わって学校へ行くのが本当に楽しいと思っていました。
3年間で休んだのはインフルエンザで休んだ数日休み、一回の遅刻があるだけで精勤賞をもらうほど学校大好きになっていました。
その理由はやはり部活の存在が大きかったと思います。
私は陸上部に入って部活をやるために学校へといく毎日でした。
勉強はそこそも真面目にやる方でしたし、不良というわけではなかったのですがテストは全然ダメで5段階評価で2ばかりでした。
ですが体育と図工と作文はとても得意で常に5を取っていました。
先ほどの小学生の時には書きませんでしたが、小学、中学、高校と学生生活の中で作文を全校生徒の前で読むと言う経験を5回ほど経験しました。
私は作文を書くことが得意だという自覚は全くありませんでしたし、好きなことではありませんでしたが先生の心を打つような文章を書いていたのかも知れません。
その経験があるからこそ、今はこうやって文章を書く仕事をしよう!と思ってブログを始めました。
幼い頃の成功体験というのは自分に自信を与えてくれるものだなと痛感しています。
話が逸れてしまいましたが、中学生の頃は部活が中心で短距離を一生懸命頑張っていました。
成績としては、100m,200,400mを経験をして全て市の大会では一番を取ることができました。
県の大会では全然通用せずに予選敗退でした。
レベルの差を感じましたね。上には上がいるということを痛感した大きな経験になりました。
私はそんなこんなで中学3年間を全うして、勉強は出来ませんでしたが陸上の推薦を2校受けまして、その一つの高校の先生が熱心な先生で、その先生に心を打たれてその高校へと入学をすることにしました。
勉強が出来なかった私にとって、願ってもないような話だったのでとても嬉しかったことを今でも覚えています。
そして、自分の頑張りが認められたと感じた大きな成功体験となりました。
怖い体験を繰り返した結果、私は能力なんてなくなれば良いと思った出来事
よく遊んでいる友達がある日、オーラが黒くなっていることに気付いた。
その時は「たまにはそういうこともあるか」と思ったのですが、次の日も黒くなっていて何かがおかしいと思った。
そして次の日も黒く、何よりもどんどん黒くなっていったのでこれはおかしいと思って何か悪いところがあるか尋ねたのだけど、「特に何も問題はない」と言われたので自分の気のせいだと思って特に気にしないようにした。
それからその子とは会わなくなったのだけど、一週間後くらいにその子は亡くなってしまった。
脳に菌が入ったらしいのですが詳しいことはわかりません。
それから自分の見えるものが幻覚ではないと思った時にとても怖くなった。
高校時代
高校生の頃は、かなり調子に乗ってしまっていた記憶があります。
小学生の頃から高校生の頃までずっとスピリチュアルな能力は続いていましたので人よりも多感というか、人の心が読めていた部分があり、「自分が一番分かっていて偉くてすごい存在なんだ」と勝手に思っていました。
若い頃だったので調子に乗っていたのです。
しかしある日のことですが、スピリチュアルな能力はどんどん強くなっていって最終的には相手の心の声が幻聴のように聞こえるようになりました。
ただの幻聴だと思って、その聞こえた言葉に関して「どうしてそんなことを思っているの?」と聞いたら、「何で分かったの?」というような顔をしていて、これは幻聴ではなく相手の心の声が聞こえているんだと実感しました。
そんな日が続いて、だんだんと心が疲弊していってみんなの前でキレてしまったのです。
「早く帰りたいな〜」
「面倒臭いな〜」
「だるいな〜」
そんな声が聞こえてきて、うるさくてうるさくて気持ちが抑え切れなくて、
「ダルいなら帰れよ!面倒臭いなら来なきゃいいじゃん!」そんなふうにキレてしまったのです。
その場はシーンとなってしまい、私は逃げるようにその場から去ってしまいました。
その日を境に私は学校ではイヤホンをして、極力人とは関わらないようにしていました。
「こんな能力なんてなければいいのに」そう思うようになりました。
そんな気持ちが強くなって、3ヶ月もした頃には本当にスピリチュアルな能力は全く無くなっていました。
そこからの日々はとても快適で日々の生活にストレスを感じることもなく、普通に生活をすることができるようになりました。
今考えると見える世界も変わっていて、とても輝く世界に見えていたことを今でも覚えています。
そしてスピリチュアルな能力は無くなったまま、高校生活は終わりました。
競輪選手時代
私は選手になるために福島に行って修行をする事にしました。
そこでのトレーニングは今までの陸上のトレーニングとは全く違うレベルの練習量で、毎日のように帰りたいと思っていたレベルで辛かったのですが、その甲斐あってか3ヶ月の練習で一次試験に合格をして半年後の二次試験で合格をして、晴れて競輪学校へと入学をすることが出来ました。
毎日の練習から抜け出したい一心でトレーニングをしていたことを覚えています。
それから1年間の競輪学校生活を経て、晴れて競輪選手としての人生が始まりました。
そこで出会った兄弟弟子との出会いで人生が大きく変わる事になりました。
再度スピリチュアルな能力を開花させようと思った日の話
完全に心を塞ぎ込んで、そこからしばらくはスピリチュアルな体験は全くなくなりました。
オーラも見えなくなり、人の心の声も聞こえなくなり私にとってはちょっと寂しい気持ちもありましたが、とても快適な毎日を送れるようになりました。
心の傷も癒えてスピリチュアルなことは完全に忘れた頃に、
ある競輪選手の同僚に霊の話や不思議な体験の話になって黙って聞いていたのですが、その時にその人が「吉岡もそういう体験をした人とか周りにいる?」という風に聞いてきたので、一瞬私は話そうか迷ったのですが「どうせ過去のことだから・・・」と思い、思い切って話すことにしました。
そうしたら普段はそこまでテンションが高い人ではないのですが、急にテンションが上がって話し始めました。
「だったらまた見えるようになって俺のことを見てよ!」と言われたのです。
過去のことがあるので最初は気は進まなかったのですが、もう大人になったので何が起きてもそこまで落ち込むことはないだろうという気持ちもあり、これも一つのタイミングだと思ったので見えるようになる訓練を始めました。
それから一週間もしたらまたオーラが見えるようになり、今まで通りの能力に戻ったのです。
もちろん幻聴のようなものはなく、オーラと相手の潜在意識が読み解けるくらいの能力まで戻ったのです。
それが元に戻った時の話です。
競輪選手を辞めてからのスピリチュアルカウンセラーになっていった
私はその後、10年間の競輪人生に幕を閉じてスピリチュアルカウンセラー兼ライターとしての活動を始めました。
スピリチュアルカウンセリングは競輪を辞めてすぐに始めたわけではなく、私は文章を書くことが好きだったのでライターとしての活動を始めてその後にカウンセラーとしての活動を始めました。
ヨシタカブログというブログを始めて、そこで自分の好きなことや考えを書くブログを始めてピーク時では月間40万PVほどある大きなブログへと変わっていきました。(今は更新はせずにこの吉岡貴紀公式ブログを更新している)
そのブログから多くのコメントとお問合せをいただいていました。
「相談などは受け付けていないのでしょうか?」
「もっと詳しく聞きたいので会って話したいです」
そのような声をたくさんいただき、スピリチュアルカウンセラーとして活動を始めることにしました。
元々はブログやライター収入で生計を立てていく予定でしたが、自然とカウンセラーへの道が開かれていきました。
スピリチュアルな能力を戻した時といい、今回の相談を受け付けてほしいという声が増えたことといい、自分のやるべきことは自然と道が開かれていくのだなと痛感した出来事となりました。
現在の活動とサービス内容について
現在は、
- スピリチュアルカウンセリング(スピリチュアルマインドというサイトからお申し込み)
- イクリスアンサーという月額制の生きる意味や自分がすべきことや自分がどんな自分になっていきたいのか一緒に見つけていくコーチングサービス。
- イクリスストーンという自分自身の潜在意識を書き換えていくためのパワーストーンショップ
- イクリスバイブルという幸せに生きていくための方法が書かれている人生の教科書(現在作成中)
- イクリスシードという自分自身の悩みを知り、解決していく人生相談のサービス(サービス作成中)
- そして当ブログ吉岡貴紀公式ブログの運営と更新
を中心に活動していきたいと思います。
最後に
長いプロフィールになってしまいましたが、出来る限り簡潔に私のことを書いたつもりです。
なかなか自分のことを書くことは恥ずかしくて、どう表現したら良いのか分からない部分がありましたが、なんとか最後まで書き切りました。
今後も当ブログは更新していこうと思いますので、楽しみにしていてください。
イクリス株式会社の理念は、「見つけよう、愛と自分らしさを。」です。
そこに込めた思いというのは、
愛というのは形もなくよく分からないものかもしれませんが、その愛こそが生きる意味であり目的だと私が痛感したからです。
そして、自分の人生の答えというのは自分らしい生き方であり、それこそが幸せになるために最も必要なことだからです。
ですから、イクリス株式会社はお客様に「愛と自分らしさ」を見つけて、幸せになってほしいという願いを込めて設立しました。
ですから、当ブログも全てのサービスも当社を通じて、幸せになってもらうことを目的として活動しています。
もし、少しでも興味が湧いていたり、生きる意味や目的、自分らしさとは何なのかに迷っているのだとしたら、是非ご連絡いただけると嬉しいです。
出来る限りのサポートはしていきます。
これからも吉岡と、イクリス株式会社をよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。